第14回「AIが価値判断を下す日まで」

製造業 音 分離 異常検知 ノイズ低減

製造業におけるAIの活用事例は既に数多のものがあり、特にドイツや中国における活用の広がりは目を見張るものがあります。異常検知・予兆検知の分野から生産ライン全体の最適化に至るまで、AIIoTを介した技術の恩恵が、現代社会が抱える人員不足やコスト増の問題解決に鋭い活路を見出しています。

「音の検知」に関わるAI技術も、今や製造業において欠かせないものであると言えるでしょう。工場の運営に欠かす事の出来ないインフラ設備や大型タービン等の機器は、それぞれが特有の振動数を持っています。初期不良が発生しますとこの振動数が僅かに変わりますが、よほど熟練した人財でなければそうした初期の不具合を発見する事は出来ませんし、そもそも常に計測・監視の為に人員を割く訳にもいきません。こうした振動数の変動をAIに学習させ、センサー等を通じて24時間計測・監視出来る状態にしておけば、この問題は一定の解決へ導く事が可能です。

音に関するAI技術で言いますと、検知ではなく「分離する」という活用法もあります。これはいわゆる「音源分離」という領域です。人間は雑多な音が飛び交う場所にいても、ある特定の音を分離して聞き取る「選択的聴取」という能力を持っています。これは心理学的に言う「カクテルパーティ効果」という認知機能です。この名称はパーティーの騒がしい場にいても、自分の名前が呼ばれたらハッと気づいて反応する事が出来るという現象に由来して名付けられました。AIに「分離して欲しい音源」を深層学習させれば、この選択的聴取を機械が自動的に再現してくれるようになるのです。

具体的な活躍シーンとして、議事録を取り上げてみます。会議に参加した話者、それぞれの声のサンプルを予めAIに学習させれば、会議の音声を話者ごとに音源分離させる事が可能となります。また、会議中に何らかの騒音が周囲にあったとしても、それらを分離させて抽出・削除する事が可能となります。このようなノイズ低減の機能性は、音楽全般や補聴器の機能改善、音声通信の品質向上等の分野でも大きな効力を発揮し得ます。

このようにAIの「判断」がすべからく私たちの社会に変革を与えるものである事は間違いがありません。しかし、ここで私たちが注意をするべきは、その判断が「価値判断」ではないという点なのです。つまり、当たり前の事ではありますが、現在のAIは「良し悪しの判断」をする事が出来ません。その価値判断は、現時点においては人間だけが持つ美徳や道徳、倫理といった哲学的な精神性を用いらねば行えない事象です。

アメリカの心理学者ローレンス・コールバーグが提唱したケア倫理学の説のひとつに「ハインツのジレンマ」というものがあります。これは次のような例題が示されています。「ハインツという男の妻が死に至る重い病を患った。この病を治療出来る薬剤は存在するが、開発者の薬剤師は開発費の10倍の価格でしか売らないと語った。ハインツ氏は死に物狂いで金をかき集めたが、それでも薬の値段には達しなかった。ハインツ氏は薬剤師に向かって価格の調整や後払いを懇願したが、薬剤師は一切妥協しなかった。ハインツ氏は苦渋の果てに、薬剤師のもとにあった薬を盗んでしまった。」

コールバーグはこの「ハインツのジレンマ」について、読み手となる私たちに問いかけます。その行為が善いものとして賛成するべきか、悪いものとして反対するべきか、と。この価値判断に正解はなく、人それぞれに見解がある事でしょう。そして、そちらの意見においても合理点と欠陥点があります。ハインツ氏が薬を盗まなければ妻を見殺しにする事になりますが、ハインツ氏が薬を盗めば犯罪に手を染めた事になります。

現実世界ではこのように明確な二者択一の条件には陥らず、より複雑に伏線が交じり合う事になりますが、とにかく「価値判断」は現時点において人間だけの特性と捉えて間違いは無いと考えられています。他の動植物でも、人間のような複雑な価値判断を連続して実行する存在は確認されていません。ましてや、汎用性が限られたAIは特定の分野において純粋な「判断」を下すのみに留まり、「価値判断」の領域に至る事はありません。

AIが価値判断を下せるようになる日は、まだ当分来るものではありませんし、来るべきでも無いかもしれません。いや、あるいは逆に、人間の不確実な価値判断を補完してくれるAIを必要とするべきだという考えもあるかもしれません。このような哲学的命題も含め、弊社はAIとの真摯な向き合いを続けていきたいと考えています。